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サトウトクヤのアレクサンダー・テクニーク~トランペットを誰もが楽しめる楽器に~

トランペット、アレクサンダー・テクニーク教師サトウトクヤのブログ。アレクサンダー・テクニークとトランペットについて。Facebookページやツイッターもやってます。

昔のアンブシュア、今のアンブシュア、理想的なアンブシュア

思考・考え方 アンブシュア つぶやき

ふと、調子良かった時の昔のアンブシュアとか奏法に拘ってる自分がおかしくて笑ってしまいました。

 

この記事の内容。

「調子良かった頃のアンブシュアを再現しても結局それは記憶を頼りに作った今のアンブシュア」「今のアンブシュアを受け入れた方が良い結果に繋がる」「音楽を無視してアンブシュアばかりいじっても意味はない」「時系列関係無く全てが自分(のアンブシュア)」

 

 

昔のアンブシュアとは

昔のアンブシュア意識して作ってもそれは「昔のアンブシュアだと思ってる今のアンブシュアA」でしかなくて、「スランプの原因と決め付けている今のアンブシュアB」が今現在の自然な自分のアンブシュアなんだなあ、と思いました。

確かに昔の写真や動画をみて、見た目明らかに違っていても今に持ってくる事はできないんですね。

 

アンブシュアを変えようと思ってる人は

調子良かった昔の(だと思っているけど実際は記憶を頼りに作りだした今の)アンブシュアA

調子悪い(と思い込んでいるけど成長途中なだけの)今の自然なアンブシュアB

教本や誰かに指摘されたいわゆる理想のアンブシュア≒未来のアンブシュアC

の3つで揺れ動いてるのかもしれません。まあ数日前の自分ですが。(古い順にA→B→Cにしました。)

 

 

理想的なアンブシュア≒音楽性と切り離されたアンブシュア

いわゆる理想的と言われてるアンブシュアは知ってましたが、そもそもそんなアンブシュアでなくてもバリバリ吹けてた(むしろ比率は逆だった)ので全く気にしていなかったのに、スランプになり不安になった途端(理由はあるけど)理想的なアンブシュアに意識が向いたのが興味深いです。所詮は答えのない自己分析なので迷いが生まれ、音楽と切り離されていました。見た目が理想的になったからといって素晴らしい演奏が出来る保障はないですね。卵が先かニワトリが先か・・・。

 

 

今のアンブシュアを受け入れる

数日前、今のアンブシュアBでもいいやと認めて頑張っていこうと思ったその日から結果が出始めた事がありました。これを思うと昔のアンブシュアAや、理想的なアンブシュアCにするためのdoing(やりすぎ)が働いてしまっていた気がします(なのでスランプの原因と決め付けている今のアンブシュアBと書きました)。

今日、昔のアンブシュアAの感覚(あくまでも感覚)が出て来ましたが、今のアンブシュアBがそう感じるだけなんですね。「今のアンブシュアBでこれからやっていくのだから、昔のアンブシュアAは出てきて欲しくない」なんて思ってましたが、実際はこの感覚が来てもきちんと吹き切れたので、腑に落ちたというか気が楽になりました。

今、自分に現実に起きている事を自分で否定していたんですね、これはアレクサンダー・テクニークの視点から見るとちょっといただけないです。

 

 

アンブシュアは日々変化・成長している。

反対に理想的なアンブシュアCの感覚を感じる事もありますが、今のアンブシュアBがそう感じるだけ。

自分が納得する練習をしてきた結果昔のアンブシュアAが変化(アップデート)したのが今のアンブシュアBなのだと思います。そしてその練習をしていると理想的なアンブシュアCの感覚(あくまでも感覚)を感じますが、音域によっては古いアンブシュアAも感じます。

音域によってABC別々のアンブシュアの感覚が顔出してきます。あー面白い。アンブシュアを使い分けてみたら?というアドバイスも役に立ってます。

 

 

 大事なのは音(振動)

そして、何より音を出すのに必要なのは息と振動なんですよね。振動を生むために息を使い、求める振動が作られるのなら、それで良いんです。

音が出れば良いという訳ではなく「求められる」振動であれば、つまり出したい音が出ているかどうか、ですね。これが無いのにあれこれしても成果は出そうにありません。

赤ちゃんが言葉を話すのを同じかもしれません。伝えたい事があり、親の言葉を聞いて真似し、発音の練習を重ねてそれに必要な筋肉が少しずつ発達し、喋れるようになる。アンブシュアも形だけ変えても、その位置で支える筋肉が発達していなければ演奏は難しい。今の位置から練習して少しずつ成長するのを待つのが建設的だと思いました。

 

 

過去の自分が今に、未来に繋がっている=全てが自分

昔のアンブシュアは今に繋がり、今のアンブシュアは未来のアンブシュアに繋がっている。全体を見よとは良く言いますが、時系列においても全体を見ると「過去の自分」「未来の自分」でなく全てが自分なんだと。

何事においてもそうだと思いますが、全部繋がっていると考えたら冒頭のように過去にこだわる自分がおかしいと思うようになりました。