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サトウトクヤのブログ~トランペットを誰もが楽しめる楽器に~

アレクサンダー・テクニークとトランペットについて書いてあるブログ。

教育すると人間は弱くなる? ハワイの文化

これも昔ある記事を読んでFBでシェアしたもの

 

 

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某EMさんの考え方はこういったハワイの文化から来てるのかな?

 

昔の文明社会に染まる前の日本人ならいざ知らず、文明に、情報に、西洋文化に浸かりきってる現代人には通じない部分があるのかもしれない。頭も身体も硬くなって適応できないのかもしれない。

 

EMさんの話を聞いてて「そりゃそうですよね」と思うところもあるけど「それは理想論だよ、みんながそうじゃない」とも思ってしまう。天才肌というか。

 

 

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本来、誰かに習わずとも上達していくものなのかもしれません。

ただ、そうでない人がいるのも事実。

 

習わずに上達できる人は筋が良い、センスがある、天才・・・

 

とはいえ、EMさん的にはそんな風に思って欲しくないでしょうし、こちらとしても凄い!天才!と必要以上に神格化するのは良くないのかなと思います。まぁ演奏聞くとそれは難しいのですが・・・(笑)

 

 

 

以下リンクと少し引用

時間がある方はリンク先も読んでみてください。

武術とかまったく知識無いです。

 

 

興味深いのは5ページ目から

gendai.ismedia.jp

 

教育したら人はすぐ弱くなります。

「物事はこうでなければいけない」と教えたら、弱くなるのです。

 

学校をはじめほとんどの教育の内実は「こうでなければいけない」と刷り込んでいきます。もともとの才能を潰さずに教育するのは本当に難しい

とてもよく分かります。

身をもって体験しました。

 

−−日本だと職人的といいますか、厳しく求め、突き詰めていかなければ、強さは得られないという考えが一般的です。

 

ぜんぜん違いますね。そもそも「鍛錬」という発想がない。それには環境が影響しています。

 

ハワイの環境は野生に近いので、自然と人間もワイルドになります。しかも、このワイルドは、「めちゃくちゃ」といったシティワイルドではない。静けさも穏やかさも凶暴性も優しさもアロハの精神もある。

 

 

 

 これも2ページ目から

gendai.ismedia.jp

 

−−日本では芸事から職人の世界まで型が重視されています。ナチュラルに強いハワイアンやサモアンは型をもっているのでしょうか?

ないですね。彼らには技はあっても型はない。

 

型は後代に技を伝えていくための方法です。技があって伝えていく術はあっても、土台となる共有された文化がなければ型は生じない。それには、ある程度の文化の成熟がないといけない。

 

f:id:tokuya-tp:20170919213205j:image

たとえば、前回紹介した喧嘩屋のジェームズはウクレレがすごくうまいのです。~略~あまりにうまいから「教えてくれない」と言ったら、「オッケー」と言ってしばらく弾いて、「こう、こんな感じで!」と言って終わりです。

 

「いや、だから弾き方を教えてよ」と言うと、また「Ok, Alright」と言って弾いて見せて「Yah, You play it kinda like this!(こうだよ、こう弾くんだよ!)」でおしまい

 

泳ぎも得意だから、「教えて」といったら、また「Alright, like this! (オッケー、こんな感じで!)」で泳いでみせて「You go like this!(こう、こうするんだ!)」で終わり(笑)。

 

ウクレレも泳ぎもどうやって覚えたのかと尋ねたら、「小さい頃からできる人を見て覚えた」というんですね。型がないとは、こういうことです。

 

これはよく聞くEMさんの話そのものだと思いました。

楽器は家に転がっていて自然と吹いていた、レコードから聴こえる曲を吹いていたからシャープが沢山付いていようが難しいという先入観は無かった(たった3つのピストンの組み合わせだから)、お父さんに習った事はない、プロのレッスンを受けてもつまらないから今までで4,5回しか受けた事はない。

 

もちろん土台がこれという話で、学ぶ姿勢は物凄かったのでしょうけど・・・。

 

 

 

 

これは1ページ目から

gendai.ismedia.jp

 

−−古(いにしえ)の身体観と今の身体観のもっとも大きな違いはなんでしょうか?

 

いちばんの違いは生活観でしょう。かつては体は生活の中で養われていくので、わざわざ鍛えるまでもありませんでした

 

たとえば米俵一俵は60キロの重さがあります。いまの人にとっては持ち上げるのに一苦労、一日中あっちからこっちへと運ぶとなるとさらにたいへんです。けれども江戸末期に書かれた文書にはこう記されています。

「一俵の重さがいまのように決められたのは、成人した大人なら男女問わず誰でも持ち運べる重さだからだ」と。

 

 

 

トレーニングに取り憑かれた人は、「一日でも休んだら筋肉は衰える。トレーニングを毎日行わないと現状維持できない」といった脅迫観念で続けている人も少なくありません。

こういう発想も想像上のことです。なぜなら、それは現状維持ではなく過去の持続を試みているからです。

「トレーニングしないとこれまでという持続性がなくなる」という不安で、つい翌日も同じことをするわけです。

これも昔と比べるとだいぶ無くなりましたが・・・。

 

 

ハワイにいたころ、試しに2年間だけ当時最新式のトレーニングを徹底してやりました。

始めた当初はやっていくうちに前よりもっと重たいものを持ちあげられたらいいぐらいに思っていたのですが、武術の稽古中に怪我をしやすくなりました。突き指したり、肩が脱臼したりと節々がどんどん弱くなる。

 

一般的には、ウエイト・トレーニングはいいと言われていたし、周りもそうだと言っていました。確かに見た目は筋肉がついて強そう見えていても、私の実感はそれとは真逆で身体がどんどん弱くなって行き気持ちも不安定になって行きました。

 

多くのプロが「音楽をしよう!」というのも納得。

学生時代は基礎練が嫌いで曲ばかり吹いていて、紆余曲折ありましたが(個人的には)何の問題もありませんでしたが、僕が受けたレッスンのほとんどは音楽とは切り離されていた様に思います。

 

でも、演奏だけしても上手くいかない人が多いのも事実。

 

 

 

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