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サトウトクヤのアレクサンダー・テクニーク~トランペットを誰もが楽しめる楽器に~

トランペット、アレクサンダー・テクニーク教師サトウトクヤのブログ。アレクサンダー・テクニークとトランペットについて。Facebookページやツイッターもやってます。

良い悪いでなく、自分を相手を「ただ認める事」の大切さ

つぶやき 先生と生徒、先輩と後輩 思考・考え方

あなたの周りにイヤな人、失敗ばかりで足を引っ張っている人はいますか?

すぐ怒ったり落ち込んだり、誰かに嫉妬・否定しては自己嫌悪する自分がいますか?

 

その人はダメな人ですか?そんな自分が嫌いですか?

 

人や自分にピリピリしているととても疲れますよね。でもそれは自分自身でそうなる事を選んでしまっているからかもしれません。

そしてそれは、自分を・相手を認めていない事から来ているのかもしれません。

 

 

人を認めず否定する事はそれはそれで信頼とは反対のエネルギーを持っているように感じます。こちらもとても大きなエネルギーですが、心身への負担が大きいです。これではいずれ限界が来てしまうでしょう。

 

他の人を認められない人は自分を認められず、他の人を信頼出来ない人は自分に自信を持てていないように感じます。

自信があるように見えて気丈な人でも、弱みをひた隠しにしているだけなのかもしれません。

 

そして、何かと認めず否定ばかりしている人は、結局は周りを気にしてピリピリイライラしてしまっているのではないでしょうか。

 

 

 

善悪では無い、ただそこにある

良いものは良い、悪いものは悪い・認めない。ある意味当然の事なのかもしれません。

ただ、世の中には良い事や悪い事といった事は無いのではないか?という事を最近感じています。

 

確かなのは誰かの言動がただあるという事実。なので全ての事象(事実)を認知し、受け入れる。その後で善悪を判断する事もできますし気にしない事も出来るという考えです。

 

善悪を決めているのは人ですよね。ドラえもんも言っています。正義の反対はまた別の正義なんだよ、と。

 

 

悪い事も認められているだろうか?

良い事=誉めるという考えを持っていると、悪い事=誉めない、叱る、受け入れないとなりかねないのではと。

気付かぬうちに「現実には起きているのにその事象を無かった事にしている」という矛盾が生じ、どこかにしわ寄せが行くのではないかなと思いました。

 

それはストレスとして身体的にだけでなく精神的にも溜まっていきます。

認めずに無意識に否定してしまっていたら、何か良くない事に対して叱っているつもりでも叱られた人は行動だけでなく自分自身を全否定されたと錯覚してしまう事に繋がってしまうのではないかと思いました。

 

例え好ましくない事でも呆れ否定し注意するのと、その事をただ認めた上で注意するのとでは、言葉がどう届くかが変わってくると思います。

 

 

ただ認めてくれる人への信頼感

自分の訴えを受け入れてくれない人に対しては不信感を抱くでしょうし、ありのままを受け入れてくれる人に対しては信頼感が大きいと思います。

 

何かを教わる時は必ずしも信頼しなくても良いかもしれませんが、信頼出来る事や、信頼出来る人との方が上手くいく確立が高いと思います。

 

「私は○○の~~なところが好きだから、同じようにやりたいからやる。」信頼するエネルギーはとても強いと思います。

 

 

全てをただ認める。

私の「認める」考えは受け入れるというよりは、認識するに近いかもしれません。必ずしも受け入れなくて良い、でも拒絶する訳でもない。(2014/12/12現在)

 

あなたは何をしても良いし、何処にいても良い。互いにそれを認める。

社会の中で生きるなら守るべきルールはありますが、何かをしてはいけないという束縛の意味でなく、お互いを認め合うための約束事なのかもしれません。

(それもたまにどこかおかしく感じたりしますが。)

 

シアトルのアレクサンダー・テクニーク教師であるキャシー先生は「人はいつでも完璧。アレクサンダー・テクニークは別の完璧を提案するだけ」と話されていました。

良い悪いではない。こういう事でもあるのかな?と思いました。

 

 

 

すぐにはそう思えませんが、こう考えられると過去の失敗も笑って受け入れられそうな気がしました。

 

 

 

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